呼吸の記憶1
最初の自覚のきっかけは、
たぶん、7才くらいの頃。
夕方、TVで、『スケバン刑事』がやってたんですね。
3姉妹に、死の予告状が出て、
ひとりは、焼死、ひとりは、水死。ひとりは、、、(わすれた)
、、、と、いう回で。
そもそも、わたしはずっと水が苦手で、
と、いうか、水で密閉されるのが苦手で、
学校のプールの授業で、
私だけが水に顔がつけられなくて、
学校の先生からの苦情のお達しで、
親からむりやりスイミングスクールに入れられたことがあったのですが、
スクールの時間を見計らい、家からはだしで逃亡しては、
(靴がないのがバレると探されるため)
2時間ひっそりと物陰に隠れているくらい、嫌でした。
あの、水から逃げる気持ち、必死さは、
いまでもよく覚えています。
それで、『スケバン刑事』の水死の場面。
それをみたときに、
(ああ↓、ああああ↓↓、ああああああ↓↓↓。)
と、ふかく、すべてを悟ったみたいな。
すべてがこのとき、合致した、みたいな。
そんな瞬間がありました。
ああ。わかった。
わたし、こうして死んだんだ。
いままでみてきたいろんなものは、この記憶。
わたしこれを覚えている。
それまで、いろんな記憶や風景、感情がフラッッシュバックしてきていたのですが、
それがなにか、自分じゃわからなかったのです。
説明付けて考えられない。
(まあ、こどもでしたから。)
とにかくキャパはオーバーしていて、
しかしその状況の説明ができなくて、
特にやってくるのが夜だったので、
眠っては叫ぶ、おそれる、周りを困らせる。
(なにかをみること。)
「それは夢だよ、ふつうだよ。」と言われる。
(これが?これをみんなみている??それで普通に暮らしている??!)
(それはだから、この人体のキャパを超えてる。)
「大丈夫だよ。ほら寝なさい。」と言われる。
(うそだ。どうしたらいいの。うそだ。)
(「わたし」がもう、破裂しそう。)
を、繰り返していました。
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