ある占いの先生が、タレントにならないか?
と言われて、断った時の話を聞いた。
いわく、
「そのときもう占星術の勉強をしてたから、
これわたしのすることじゃないなっていうのがわかったんだよね。
それをやったら稼げるし売れるのはわかるけど、タレントって人のいいなりになる仕事でしょ?わたしは人のいう事聞くタイプじゃないんだよね。もっと他に適した人が、世の中にはいっぱいいるんだよね。」
「和」(他者を含めて全体でひとつの輪)を重んじる東洋占術とは違って、
「I am」(わたしという主語。)の世界の占術である西洋占星術は、ちょっとばさっと言わないというか、基本、「なんでもできるよ〜〜〜だってわ・た・し(自分愛)」って性質があるので、自己探求にはぴったりだけど、なにか答えを絞るには、ちょっとキレの悪いところがある。(逆にいうと逃げ道というか救済策がある。)
それでも、
これはわざわざやらなくてもいいかな、、、
っていうのはわかる。
たとえばわたしの場合、
量をつくったり、増やすのがそれ。
(それわたしやらなくてもいいかな、、、)
と思う。
「量」があるって、
対価の対象としてわかりやすくお金になりやすいけど、
それをやったら、「わたしのホロスコープが」もったいないのだ。
自分でもわかりやすい成果物が欲しくて、
(書き込んだテキスト作ろう)と思ったりするけど、
それはちょっと逃げなんだな、、、
だからぶれたり迷ったときに、自分のホロスコープをみて、
(わたしはこれを輝かそ)って思う。
ホロスコープは財産だから。
よく(わたしを)使わないと、逆にとってももったいないの。
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