音楽が流れたので~淡いピンクの心象風景~


ヒーリング(リーディング)サンプル

2015年8月21daysリトリートにて。

(「意図」してのリトリート前/後)

耳に、聴こえなくしているイメージ。

「ききたくない」

といっています。


耳に透明な膜をはり、聴こえなくしていたので、通りをよくしました。


すると、音楽。


右側から左側に、音符が流れて通っていきました。

(五線譜がすいこまれるみたいに。)


あたまの後ろ、首のつけね、ぼんのくびが冷えていたので暖めました。

ふだんぜんぜん

「かまってない」

かんじです。


ここは(伏せます)とも呼ばれるエネルギーの入り口です。

活性化することで本来の自分自身を思い出すともいわれます。

ポンポンと、触ってあげることからはじめましょう。

かまってあげないとスネちゃいますよ。


そのまま背骨を1関節づつコリコリキュッキュとしていきました。

下までっていったらあくびが。

緩んできましたね。


うしろ側が全体的にかまってあげていないので、

(自分で触れるだけでもよいのですが)

背面のマッサージを受けるのもオススメですよ。

触れてもらうことで、意識をもっていくコツを掴みましょう。

そして単純にリラックスにもGOODです。


おなかの中にピンクの思い出がみえました。


淡い色彩です。


今回のテーマ「私は愛を知る☆」に1番かかわる部分のようです。


過去にいきている??かんじがあります。


足元をヒーリングしていたら、

♪〜どんなときも〜〜どんなときも〜〜

(槇原敬之)

そして、

KANの『愛は勝つ』がながれてきました。


この曲に思い出はありますか?

もしくはこの歌が流行った頃の思い出はなにかありますか?


すこし覗いてみたら、

のめり込む恋、苦しい恋、悩む恋

それがみえました。

お客様からのご感想

(略)

「♪〜どんなときも〜〜どんなときも〜〜〜KANの「愛は勝つ」」

高校生の時で、あれはまさに「のめり込む恋、苦しい恋、悩む恋 」でした。

二人の世界はたくさんの曲と共にありました。

思春期らしく?とても苦しく生きていた時期で、その人がくれたCDがKANさんの「愛は勝つ。」でした。(すごいね!) 泣きました。

槇原敬之さんでは、他に「冬が始まるよ」が思い浮かびます。

(略)

相手は身体は女性、心は男性の人で、お互いにしがみつくように生きていたし、依存し合っていたように思います。

あわいピンクではないけど、ものすごく濃い世界でした。

私には大きな体験でした。


それに対するご返信

(略)

二通目のコメント、いま確認しました。そうなのですね〜。レスポンスをありがとうございます。その思い出は、いますご〜く淡く優しくなり、心象風景のようになっていましたよ*・゜゚・*:.. .。.:*・゜゚・*



21日後

耳が、頭の真ん中を通ってスーーっと上に抜ける感じ‼︎

ガードしてないです。笑

すごいなあ。聞けるようになりましたね。


色は水色、グリーンでした。

水色はコミュニケーション。

グリーンは結婚や家族を育む協調性を示します。


ぼんのくび、オレンジのエネルギーが通っています。人間らしい生命力です。


胸(ハートチャクラ)には、はげしさ、きびしさ、など、感情がしっかりと感じられました。連動して、丹田に吸い込む深い呼吸もありました。


しばらく手をあてていたら、からだがグネ〜っと動き出しました。


ここは、今回の意図に深く関わる部分です。

動き出す日も近いかも。


前回しにんのようだった(!)背面にもしっかり意識がありました。

しっかり意図した結果だと思います。


お客様からのご感想

キャラバンさま

耳、ぼんのくび、(しにんのようだった笑)背中、変わったようでうれしいです。この程度かまったり意識したりするだけでも効果?があるんですね。これからも続けます。教えてくださってありがとうございます。

水色とグリーン。いい気持ちになる色の組み合わせです。協調性は実はないと気づいているので、それがまたあるのがひっそりとうれしいです。胸にあるきびしさとはげしさはその通り。人間らしい生命力というのもうれしいです。

今回のリトリートで、はじめて意図するということを知り、体験できたように思います。意図するっていいですね。

もうひとつ、夢と現実を繋げて見ることがおもしろかったです。やってみると、繋がりが見えるんですね。これも続けたらもっと見えるんじゃないかと、楽しみです(夢メモ、続けています)。自分の潜在意識をこんなに近くで日々知ることができるとうことを、このような形で知ることができてうれしいです。そう思うだけで私が喜んでいるのがわかります。専門の知識や夢辞典の解釈が必ずしも必要ではないというのが私向きでした。