18日の、リチュアルでの一コマです。
「三位」に分かれるもの。。。
「まんまる」をあらわすもの。。。
(ちょうどこの夕日、満月のようでもありますね〜〜〜)
向き合う「ふたり」をしめすもの。。。
ほんとうに、それぞれにうつくしい光景をみせていただきました。
わたしは、そのそれぞれのお客様、そして今回のリチュアルに込められたメッセージを知っているのでなおのこと、
「・・・(頷く)・・・」
と、思います。
これは、
「・・・おお・・・」
とか、
「・・・うん・・・」
とか、
思うのはそんな、言葉にならない深い頷きでしょうか。
その「もの」の、その「ひと」の持つ「質」のようなものは、
このようにどこにだってあふれちゃってるものなのですよね。
あからさまに、みえすぎている。
なので、「違い」を、どうしようとは思わなくなりますね。
だってこんなにもその「もの」「ひと」なだけなのだから。
そして象徴には大小はありません。
ただどこまでも「それ」なだけ。。。
どこにでもそれが、あらわれちゃってるだけなのです。
ポピュラーなところでは、紅茶占いもそうですね。
カップにあらわれちゃった形で占います。
神は細部に。。。いえ。どこにでも。
こんなにもはっきり、くっきりと、あふれちゃってるものなのだなあ。。。。。。
と、何度も何度もはっとします。
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